千種町の沿革

奈良時代に編纂された播磨国風土記に「敷草村、敷草為神座故曰敷草」と記され、古くは「敷草村」と呼ばれ、神々のしとねと表現されていました。また、千種の里は古来より明治中期に至るまで一貫して和鉄の里として知られ、繁栄してきました。

昭和初年 千種村役場

武家時代には、赤松氏、宇野氏、羽柴氏の支配下となり、
関ヶ原の戦以降、池田輝政領、松平輝澄領などを経て
慶安2年(1649年)より江戸幕府の直轄地となりました。

明治元年、久美浜県、生野県、姫路県、飾磨県を経て、
明治9年豊岡県と共に兵庫県に合併されました。

明治22年、町村制の実施に伴い「千種村」として発足。
昭和35年1月1日、時代の推移と要請により「千種町」となり、
平成17年4月1日に旧宍粟郡山崎町、一宮町、波賀町と合併して
「宍粟市」となりました。

清流千種川と中国山地の豊かな大自然の中で心豊かに育まれるとともに、昭和50年代初期までは農林産物の生産地として栄え、近年は「ちくさ高原」を中核とした観光地として発展してきています。これからのまちづくりとして、まちの将来像である “夢・自然・活力あふれるまちちくさ” の実現を目指していきます。

2000年頃の町中心部

位置と面積

千種町は、兵庫県の北西部、宍粟市の北西部に位置し、東経134度26分、北緯35度8分の地点にあって、東は波賀町、南は山崎町及び佐用郡佐用町、西は佐用郡佐用町及び岡山県美作市、北は岡山県西粟倉村及び鳥取県若桜町にそれぞれ接しており、南北23km 東西12kmにわたる町の面積は104.57km²です。

三室の滝

地勢

町域は中国山地の標高千メートル級の山々によって囲まれ、全面積の89%が山地で、農地などの平野部は町を縦断する千種川沿いに拓けています。

標高は町の南部地域で260m、中心部地域で320m、北部地域では500mと集落間の高低差は大きく、千メートル級の山々による急峻な地形によって形成されており、鳥取県境には県下第2の高峰「三室山(1358m)」があります。

下河野地区の桜

気候

気候は中国山地でも最高峰の1000メートル級の山々が多く、その影響を受けた内陸型気候であり、夏は瀬戸内海型気候に属し、冬は日本海側気候の影響を受けるといった特性があります。

その影響を受け、年間を通じて雨量、積雪に恵まれると共に、その標高差によって、気温差もあり、桜の開花においては南部の下河野(けごの)地区から北部の鳥取、岡山県境まで約40日間を要するなど、豊かな自然条件により多彩な植物の分布が確認されています。

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