間谷(マタニ)伝説

新緑の雛倉山

室地区にある日名倉山(標高1,047.4m)ここに土地の地権者が設置した「長水城落人之塚」と彫られた石柱があります。

日名倉山登山口から登ること2時間弱、山頂の手前約1500m、ヒノキ林に入る登山道を行けば山頂だが、登山道を外れ左に200mほど進むと落葉が一面を覆う落葉樹林が現れる。

新緑や、紅葉を楽しむには絶好の場所で、心地よい緩やかな散策路が続く、そして左手には湿原から徐々に水脈をつくり千種川支流の源を育んでいる。 少し進むと木々の隙間から野石を積んだ塚と思われる石組みがある。

湿原からの水脈

山頂との分岐 秋の散策路新緑の散策路 新緑の散策路

野石を積んだ塚

石組みの傍らに「長水城落人之塚」と彫られた石柱があり

かつて、毛利攻めの際に秀吉が攻め落とした、長水城を落延びた宇野政頼氏の家臣が、城主政頼の5歳の末子を乳母と共に逃亡させる際にこの地で自決したと伝えられています。

刀橋の石柱

その下流約30メートル付近には刀橋と書かれた石柱があり、そのいわれは落延びる際に増水した川に刀を架けて渡ったと伝えられ、その地が刀橋と言われているそうです。

その後、政頼の子は乳母と共に瑠璃寺(佐用郡佐用町船越)にたどり着き、のちに瑠璃寺の住職となり、千種町千草に今もある宇野氏の五輪塔を建立し、一族を弔ったと伝えられています。宇野遺跡

日名倉山に登山される際には是非立ち寄られ、歴史と自然に触れていただくには絶好の天空スポットではないでしょうか。(ただし、個人の所有林ですので、火の用心やゴミの持帰りなどは必須です)

案内マップ

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