足利時代に城があったというところ(黒土地区)、戦国時代、宇野氏の家臣石原氏が居城としていたが、秀吉によって攻め落とされる。
宇野遺跡
千種町内で、唯一 “境内まで車で行けない神社” であることは、敵を寄せ付けない強固な砦であった証であろうかと憶測するのみであったが、その姿を、播磨地方史・城郭研究家として知られた藤原孝三氏により、平成22年4月に発刊された冊子「千草山城」にて見ることが出来た。
千草山城
「千草鉄のふるさと 千草山城」より
はじめに
宍粟市千種町には、かつて「千草城」があった。しかし その姿は、今日まであまり明確になっておらず、伝承があったのみである。昭和57年発行の兵庫県教育委員会「兵庫県の中世城館・荘園遺跡』には「石原城」として記載されているが、城郭として正確に把握されているとは言い難いものである。
今回 その実像を求めて調査研究をおこなってみた。実際に調査を行なってみると、戦国時代の播磨「境目の城」として立派な城郭である。………. P:1
位置………. P:2
千草町市街地の南に聾える半独立状の峻険な山体(標高390m)に築かれており現在は城宮が祀れている、市街地を眼下にして美作方面への分岐路も直下にあり、千種川沿いの谷筋を把握する要衝の地点である。
特徴………. P:4
1.この地区を支配する「位置」を占めている。…..
2.「山城部分」に比べて「屋敷部分」が大きい。…..
3.支配の二重性を示している。…..
4.防御の手法として「やり過ごし」と「急坂」が使われている。…..
5.「水」を大切にしている。…..
6.この城の存在している山体は「マサ土」なので崩れやすい。
全て見る千草鉄のふるさと 千草山城
また、藤原孝三氏は「千草山城」と同じ年(平成22年)に発刊した「塩田城」(山崎町塩田)編集後記の中で、宇野氏の地域支配における各城の役目を、現在の行政機関に当てはめ、次のように例えられている。
篠の丸城 ・・・ 市役所
長水山城 ・・・ 警察署
千草山城 ・・・ 駐在所+市民局
塩 田 城 ・・・ 交番
五社神社
167段の石段をのぼった所で、お社が静かに迎えて下さいます。
「秋祭り」、この日ばかりは村人で埋め尽くされる境内です。
黒土の滝(宍粟市指定名勝)
同(黒土)地区内に有る落差15m、幅13mの滝
鷹巣方面に向う県道154号から谷へ、林道を20メートルほど下りると現れます。 見応えのあるええ景色やで!! いっぺん見に来てや~
黒土の滝に関する文献はあまりありませんが、千種村是によると「黒土川字瀧山にありて水源を鷹巣に発し高さ四丈五尺水勢強きこと本村滝中の王にして水力発電所として蓋し適所ならん」と書かれ、千種の名瀑の一つにあげられています。
伝承によると滝壺には大きな黒い蛇が住んでいて、村人をびっくりさせないように、小さく可愛らしい蛇に姿を変えて現れるそうです。地元では通称「お滝さん」と呼ばれ、親しまれてきました。
平成27年3月、地元自治会の取組で遊歩道が完成 !!
足元よくお滝さんへ向かえるようになりました。